ギフテッド教育
最近ギフテッド教育について話題になっています。
どの記事を読んでも、
「ギフテッド = 知能指数が高い = 何か突出した才能がある = 天才」
という様な認識である気がします。
前提も「一般の子」と「ギフテッドの子」という2極構図で、
これもまた違和感を感じます。
明治から昭和にかけては、
手っ取り早く同じ年齢の子という括りだけで集めた子供たちに、
一斉授業で同質大量生産というシステムでどうにかなってきていたのでしょうが、
今はもう問題だらけです。
ギフテッドも含めていろんな子が「一般の子」に含まれていて、
得意不得意、発達成長度合い諸々一人ひとり全く異なっています。
これを契機に、なるべく個別の一人ひとりに歩み寄れる教育になるといいですね。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。